死刑制度賛成の意見は加害者の人権を無視した感情論
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最終更新日:2016/01/14
日本の世の中に蔓延る社会問題
このブログでも以前「死刑制度に賛成も反対もしないが、あえて反対意見を投じる」の記事で死刑制度について賛成か?反対か?について書いたのだが、私は賛成ではないが、反対とも言えない立場ということを明確にしている。どちらかというと、やや反対よりかもしれない。私は死刑賛派の言うことは全く理解できないわけではないが、1つ理解できない言い分があります。それは死刑賛成派がよく口にする「お前、家族が殺されても同じことを言えるのか?」という言葉です。これは言っている本人の気持ちとしては、「お前はそういう目に遭ってないから反対と言える。実際に遭ったら犯人に死刑を望むのではないのか?」ということなのではないでしょうか?他の人がこの反論にどう答えるのか?は知らないが、私は自信を持って言おう。「同じことが言えます」と。というのも、死刑だろうが、無期懲役だろうが、殺された家族は返ってこない。というか、犯人に罰則を与えるというのは、遺族感情を平穏に保つことが目的じゃない。次なる犯罪への抑止と犯罪者への因果応報な部分からきていると思うのです。つまり、死刑制度を含めた刑罰それ自体に遺族感情を含めること自体が違うだろうと。法律を何だと思っているのか?と言いたいのです。
家族とそうじゃない人への対応の仕方を変えてる時点で
こういうことを言う人は、そもそも家族と赤の他人が殺された場合に、感情が違うだろうし、その感情が刑罰を与えるにあたって考慮されて良いと言っているわけですよね。つまり、赤の他人が殺された場合に、死刑に反対している人を何とも思わないのは良いとしても、家族が殺された場合には、さすがに同じような反応ではおかしいだろう。という気持ちがそこに内在しているように思います。すなわち、「(死刑反対派に対して)家族が殺されても同じことを言えるのか?」と言っている人は、自分の親しい人が殺された場合と全く関係ない人が殺された場合の感情的な部分から対応に差をつけているわけで、これは感情論とも言えるし、一律にこうした方が良い!ではなく、ケースによって変えるというのは、都合の良い主張をしているだけのようにも思えてくる。死刑制度自体が一律にこういう理由から必要だ!と説明してくれるならまだ分かるが、家族を殺されたという、非常に自分の身近でレアで、しかも自分にとって非常に都合の良いような場合だけを持って来て、それでも反対派は死刑反対と言えるのか?と主張してくるということは、、家族が殺されないケースでは、そのようなことは言ってこないのだから、自分の家族が殺されたら絶対に死刑にしてほしいが、それ以外の人が殺されたら別にどうでも良いという対応の現われかな?という気がしてきます。
特定のケースだけを持って来て、死刑じゃないとダメだ!でも、そうじゃないケースは別に。という感じならば、自分たちの都合を持って来て、ある場面では死刑にしてほしい。それ以外の場面では特にこだわらないことでしょう。実際、人間はみんな身近な人が巻き込まれないような事件はほとんど無関心ということもよくあると思うが、だからといって刑罰に差をつけて良いわけじゃないだろうと思う。「家族が殺されても同じことを言えるのか?」という問いに対しては、同じことが言える。と返せる人じゃないと反対派であってはいけないと思う。普段は反対派だが、家族が殺された場合には、死刑を望んでしまうという人は、結局賛成派の言っている、ケースバイケースで死刑を望んでいる状態と変わらない。実際、これが問題になってくるのは加害者の人権にもなってくるのです。
加害者の人権を無視した感情論
被害者の人権はどうなるんだ!?という主張もあるかもしれないが、そもそも犯人を死刑に処すか?処さないかで、被害者の人権に影響はないと思うのだが。死刑制度の問題は、ほぼ100%と言っても良いくらいに加害者の人権にかかわる問題だと思う。被害者の人権というのは、殺されてしまった後は被害者の名前が公に出るとか、出ないとか、そういう問題だと思います。で、実際死刑に処すか?処さないか?という問題もそうだが、特に重要なのは加害者の人権になるのです。死刑賛成派の人たちは、恐らく加害者を少しでも苦しめたいという思いから、死刑を望んでいるのでは?単純に懲役刑などでは足りない!そんな苦痛じゃない足りない!という報復思想が大きいと思うのです。でも、拷問などの残虐刑を主張する人はほとんどいのです。残酷な殺され方をされた被害者だっていますよね。そういう事件で、残虐刑を主張する人がいないのは、それはやはり望めないのでしょう。それはいくら憎たらしい犯人といえども、彼らが残虐行為によって、肉体的に苦しみながら死を迎えるのは想像したくないとか、そういう理由があるのかもしれない。つまり、加害者の人権を考えているのでしょう。基本的に死刑制度において、考慮すべきはほとんどが加害者の人権になると思う。
家族が殺されても同じことを言えるのか?という主張は、何度も言っているように、赤の他人が殺されたときよりも、その憎しみや悲しみが大きくなり、それを刑罰規定に影響させても問題ないという、見方によっては身勝手な感情論だし、ケースによって主張を変えている状況に等しく、説得力が大分薄れる、死刑制度に賛成の理由が感情論の時点で、説得力はほぼないのだが。法律を感情によって操作して良いと言うのならば、それこそ加害者の人権は無視されたといっても良いでしょう。人間において平等に尊重されるのが人権なのだから、当然犯罪者も平等に尊重されなければいけない。加害者の人権を無視して良いというのならば、当然ケースによっては人権なんか必要ないという主張になるのだが、じゃああなたの人権は何故尊重されなければいけないのか?答えられるでしょうか?犯罪を犯していないから。は理由にならない。それは先ほど言ったように特定のケースだけを持ち出して都合の良い主張をしている状況と変わらない。犯罪を犯した人の人権を無視して良いと言うのは、犯罪を犯されたら困る側の主張でしかない。人が困ることをされたら、その相手の人権を無視して良いというのならば、各自がそれぞれ都合の良い主張をして、人権なんかみんなからなくなる。だからこそ国は、犯罪者もそうじゃない人も分け隔てなく人権を保障しているのです。
遺族感情を死刑制度の是非に入れると生まれる矛盾
まだまだある。ほとんどがこのトーンだ。つまりはこれが、日本の死刑制度存置を支持する9割近い人たちの本音ということになるのだろうか。ならばまずは、「死刑制度がある理由は被害者遺族のため」と言い切る人たちに訊きたい。
もしも遺族がまったくいない天涯孤独な人が殺されたとき、その犯人が受ける罰は、軽くなってよいのだろうか。
死刑制度は被害者遺族のためにあるとするならば、そういうことになる。だって重罰を望む遺族がいないのだから。ならば親戚や知人が多くいる政治家の命は、友人も親戚もいないホームレスより尊いということになる。生涯を孤独に過ごして家族を持たなかった人の命は、血縁や友人が多くいる艶福家や社交家の命より軽く扱われてよいということになる。親に捨てられて身寄りがない子どもの命は、普通の子どもよりも価値がないということになる。
遺族感情を優先して死刑賛成を語ると、こういう主張が飛んでくるのです。遺族感情を優先して、遺族の感情の平穏や報復思想のために死刑があるのならば、遺族がいない場合にはどうなるのか?それを望む人がいない場合には、死刑じゃなくても良いのね?というのが「感情論ってださい。死刑制度をめぐる議論について思うこと。」でも書かれている内容なのだが、これは一種の矛盾とも言えるのかもしれない。これこそ不平等なんでしょう。私が何度もこの記事で言ってきたように、家族が殺されても同じことを言えるのか?という主張は、まさに家族とそうじゃない人が殺された場合の結論に差を設けて良いという主張だと思うのだが、結局不平等なんですよね。法律は基本的に一律に、公平じゃないとダメだと思うのだが、ある人は死刑、ある人は無期懲役でも構わないととれる主張をしている人は、やはり都合の良い主張にしか思えてこない。あと、家族が殺されても同じことが言えるのか?と言ってきたたときに、私のように「言えます」と返したら、その相手はどう反論してくるんだろうか?上記で紹介した記事では「人間性を疑う」という、これまた感情論でしか返せていないみたいだが。死刑制度には必ずつきまとう冤罪の問題と遺族感情については、以下の記事でさらに深く考察しています。
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